マイストーリー①

 

このページからは、藤永智也のマイストーリーを通し、「生きるメッセージ」をお伝えします。

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みなさんへクエスチョン!

 

・「今まで、立ち直れないくらい挫折したことありますか?」

・「それを、どう乗り越えましたか?」

 

今から、僕がした人生の挫折を「脱線」と表現して、エピソードをお伝えします。

 

僕という車両が動かなくなった出来事

          「画像:フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)」



僕は、広島県福山市に生まれました。

小学校の頃から鉄道が好き!大阪や東京へよく電車でお出かけ!

高校から大学で愛知県へ行き、就職も愛知県。

高校から14年間、通勤通学は電車!

休みの日のお出かけも電車でした!

 

さて、時は2016年末、30歳の頃。

 

勤めてた会社で、過労とストレスで、体調不良になりました。

医者に診断書出してもらい、パニック障がい、うつということで、2016年11月、休職へ。

 

「休めば治る」と思ってました。

 

その認識が甘すぎました。

 

休職から2ヶ月後、2017年1月、当時住んでたアパートにいたとき。

 

あまりにも身体を無理してたせいか、たまった疲れが表に出て、激しい頭痛、胸痛、吐き気に襲われました。

 

その場で倒れ、身体中が痛くて苦しくて、アパートから出れず、籠城生活に。

 

何が何だかわからず、何日経っても1ヶ月経っても治らない。それどころか、身体だけじゃなく、どんどんメンタルも落ちに落ちました。

 

誰かがそばにいないと孤独で不安になったり

夜になると一人が寂しくて怖くなったり

涙が出てきて、胸がドキドキ、夜も寝れない、泣いてばかり。

 

薬も効かない。

救急車も呼んで夜間救急へ行くことも。

いったい何が起きたか分からない。

心も身体もおかしくなりました。

 

助けてくれ~、もうダメだ。。。

 

ついに耐えきれなくなり、実家に連絡。

2017年3月、家族の車で福山市の実家に強制送還。

 

僕という壊れた車両を、親という機関車で引っ張ってもらいました。

「画像:フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)」

愛知では、友達やお世話になった人もいましたが、何もお別れの挨拶ができませんでした。

 

そして!

いつ回復するか分からない。

いつ愛知に戻れるか分からない。

こんな形で愛知の地を去るとは思いませんでした。

 

大好きな電車に乗れなくなった日々

↑たまに見る景色に癒やされた~

実家で、ベットで横になっている日々。

 

頭や首や胸や身体じゅうが痛くて、5分も歩くことができませんでした。

 

まるで、「でっかい交通事故に遭って身体じゅうの神経が損傷したような」強い痛さでした。

 

激しい頭痛、胸痛、吐き気、そしてメンタルがボロボロで泣いてしまう。

 

色々と病院に行ったら、自律神経失調症とか、パニック障がいとか、適応障がいとか、自律神経のバランスが崩れたとか、交感神経と副交換神経が作動しなくなったとか色々と診断されました。

 

エネルギーのガソリン切れ!

 

できないことのオンパレードでした!

 

まず!身体じゅうが痛くて歩けない。立てない。

椅子に座って、そのままの姿勢ができない。

車の運転ができない。助手席に座って、スピードが上がると、ジェットコースターに乗ったような、胸が締め付けられるような浮遊感!吐き気が止まらない。

ひとりで留守番すると、孤独感で不安になり、泣いてしまう。

椅子に座れないから、ラーメン屋にも行けない。

歩けないから、お菓子を買いにスーパーに行くこともできない。

痛い、歩けない、座れない、スピードが上がると吐き気が出る。

だから。。。大好きな電車に乗れない。。。

 

「鉄道が好きなのに鉄道に乗れない」という、人生で貴重に経験になりました。

 

人生の廃線

          「画像:フリー素材ぱくたそ(www.pakutaso.com)」

その後、会社は退職になり、多くの人が僕のもとから離れ築いてきた愛知での生活もなくなり、友達やお世話になった方々と会えなくなり、実家のベッドで横になりました。

何かをしようにも動けず、大好きな電車に乗れなくなる日々になりました。

 

一気に僕の人生がほとんど無くなりました。

 

まるで、0歳にタイムスリップして、強制的に人生をやり直すようでした。

 

残ったものは、これまでの経験と、ありがたいことに僕から離れなかった方々と電話やラインができること。

 

いつ自由に動けるか分からない。

いつ再出発できるか分からない。

 

もう情けなくて!無念で悲しくて屈辱で!

 

悔しくて悔しくて悔しくて!

 

実家のベッドで泣くという、警笛を鳴らし続ける毎日!

 

何より悔しかったのは、倒れたことで、「僕の今までの振る舞いや行動や選択が間違ってた」ことを身体が教えてくれました。

 

。。。と同時に、「僕の今までの振る舞いや行動や選択が間違ってたから倒れた」ことを、自分で証明してしまいました。

 

30代になって、自分が今までやってきたことや思ってきたことを、自分で否定するのは、とても受け入れられませんでした。

 

正直、キツイ。。。

 

まさに、人生の廃線!いや、敗戦。

こんな屈辱や挫折は初めてでした。

 

人生のレールをどう敷けばいいか分からない

 

いつまでも泣いているわけにはいかない。

人生を前に進むために、新しいレールを敷かなくてはいけない

 

でも、どうやって?どこに向かって?

 

これから先、どうやって生きていいか、生きる先の見通しが全くつきませんでした。

 

・この先具体的に、どうすればいいか分からない

・自分がどう変わればいいか分からない

・この先の目標も分からない。

・身体がなかなか動かない中、時間をかけて僕は何をすればベストか分からない。

 

・そもそも、なぜ倒れてしまったのか?

・今までの人生、何がよくなかったのか?

・何が課題だったのか?

・どの分岐点を選択ミスしたのか?

・どう歯車が合わなかったのか?

・何か大事なポイントを見落としてたのか?

 

もう、どうしたらええんや!!

 

自分の今までの人生が廃線に、いや敗戦になった今!

僕はこれからどうやって生きていけばいいんだ!!

僕はどこに向かってレールを引けばいいんだ!!



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マイストーリー②